なんていったらいいのかわかんないけど

動けない間にいろいろとあるようだ。だれか今北産業で何が焦点になっているのか説明してくれませんか。

個人的には女性は(苦手だし)女性というだけで欲望の対象になりえてしまうので、ことさら文化系だギャル系だ池袋オタク系のようにカテゴライズして、「どれが好み」「これが好み」とやることが良くわからない。「どの女性も好みということは言えます(が心底怖いです)」であり等しく価値があり等しく価値がない。

同時に女の生き難さ男の生き難さを比べることも良くわからない。男女のどちらからも「お前らの生き難さそれがどうしたよ」で次の話題にいける気がするんだけれど、どうも違うみたいだ。

これはもう男も女も互いに交わらず、互いにサンマでイケるようになるしかないな。サンマという接点でのみ交わるんだ。

ラジオクリルタイ公開収録を見たよ

http://d.hatena.ne.jp/khriltaimenbers/
行ってきた。

まず、今回企画されたクリルタイメンバーの方々、ゲストの竹熊先生、id:kanoseさん。非常に楽しく収録を拝見させていただきました。こういったイベントを企画実行されるのは本当に大変なことだと思いました。ありがとうございます。お疲れ様でした。

今回はいろんな方がいらっしゃっていてそれぞれレポートを書かれているので、詳しいことはそちらを参照してもらうとして、個人的に残ったことあれこれ。

  • 第1部
    • 非モテライフステージにおけるソリューションについて
      • 竹熊先生、id:kanoseさんともに女性へのアプローチなどがあったとのことで、のっけから「ああ、僕とは違う人種だな」と思った。しかし、当事者性などどうでも良いこと。
      • 男女間の永遠のテーゼ「仕事(趣味)と私(俺)」
        • この問いには「仕事(趣味)の方が明らかに大事です」と即答できる自信があるが、これをいうと大抵「それはお前の人生経験が足りないからだ」といわれて釈然としない思いをする。いや、結構腹を立てているかもしれない。「底が浅い」と笑われている気がしてしまう。(はてだ経由で見た「PVで泣ける泣けないの話」でもそんな印象を受けた。)
        • 最近なにかの雑誌で女性の漫画家が「『漫画と俺どっちが大事なんだ』って聞いちゃもうだめですよね」みたいな話をしていた。男性でも女性でも「自分を見て欲しい」願望はあるんだろう。
      • モテたければDQNになれ!
        • これはまったくその通り。恋愛って一種の思考停止なんじゃないかと思うようになってきた。「相手のことを考える」とか言われるけど本当に考え出したら人付き合いなんて出来ないんじゃないか。どこかで思考を停止して行動を起こすことがモテにつながるんだろう。引き際の見極めなんてほとんど感覚知だ。魚のアタリを竿の感覚で判断するかのような話。非モテがそれをやろうとするとかなりの苦行になりそう。
      • 非モテは他人が自分の世界に入る想像ができない
        • こちらもまったくその通りでございます。
      • 年下年上
        • 世で言われるのは「男の年下好き」と「女の年上好き」。ここで「20代男は年上を見よ」という話になったけれど、結構前に非モテは女性に母性を求める云々、私はお前のママじゃねぇ云々の話があったけど、実際のところはどうなんだろうか。年上を見てもそのようなリアクションをされる可能性もありそう。かといって年下も疲れそうなイメージがある。
  • 第2部
    • 開始前にアクシデント。へー、あの方が噂の…
    • 恋愛資本主義はいつ成立したのか。(ここだけとってみるとプロ倫みたい)
      • ラジオを聴いてもうちょっと考える
  • 第3部
    • 「からっぽな80年代」と今に生きる「からっぽな僕たち」の話だったなぁと。
      • 「そこに行くことが目的でそこから先のことは何も考えていない」人だったり場合だったりはかなりの確立で存在する。マスコミに行きたい人なんて大体そうなのではないか。そうじゃなくても、コミケコミティアなんかに行くと行き場のない創作意欲が沸いてくるけど、いざなにを作ったらいいかわかんないことも結構ある。毎年そうだ。
      • それでも何かに取り掛かろうとすると僕の頭の中にいる炎尾燃が「表現したいこともないやつが連載を引き受けるなぁ!」と叫ぶのでいつも二の足を踏んでしまう。島本和彦イズムにやられると中途半端なことができなくなる。
      • id:republic1963さんが仰っていることと近いけれど、完全に最初からでかいことやろうとして挫折する典型。あ、でも「1回風呂敷を広げるんだよ!」って炎尾燃が言ってるしなぁ…
  • 2次会
    • id:matakimikaさんや転叫院さんたちと非モテに全然関係ないオタ話をしながら、パスタを大量に食らった。個人的にはもの凄く楽しい時間でした。1人だけで楽しんでいた可能性も…。不快だったかたがいらっしゃったらすいません。
  • 3次会
    • やっぱ僕(ら)はDQNになれない。

国道沿いにしか衣料店がない地方の憂鬱

id:p_shirokumaさんのこちらのエントリを読む。

これは痛いほど良くわかる。なぜなら僕も1人暮らしをする前は、まさにこのような感じだったから。県庁所在地やその周辺の都市部ではまだ「駅前」なんて概念が存在して駅の周りに店があったりする。しかしそうではない場所の場合、でっかいバイパス道路が通っていてその道沿いにこれまた「○○最大級」などと銘打たれた商業施設がある。たとえばジャスコとか、複数の店が集まった複合商業施設とか。

今現在はどうだかわからないが、僕が住んでいた地方では無印やユニクロがなかった。僕は東京に出てきてから初めて無印で服を売っていることを知った。脱オタファッションの話でユニクロ、無印の話が良く出る。「えー、そんな小洒落たもんねぇよ」という人もいるんじゃないかなぁと密かに思っていたりする。

だいたいあるのはしまむらみたいなお店。車で1時間走ってしまむら。都市部近いところにいる人はわからないかもしれないけれど。

地方に住んでいると移動にものすごいコストがかかる。時間的にも金的にも。オタクはただでさえ趣味に多くのコストを持っていかれる。移動にもコストを持っていかれるのでやはりどこかを削らないといけない。これは中学生とか高校生のときに顕著に現れる。本やCD買ったらもう他にまわらない。(まぁ他にまわるお金があってもさらに本やCD買うけど)

家にいれば母親が服を買ってきてくれる。ちょいと微妙と思っても自分で買う気も時間も金もないので、それをずっと着ることになる。で、色気づいて服でも買おうと思って遠出してもしまむら。これは萎えるはず。僕の場合、「服を自分で買おう」と思うようになったのは東京に出てきてからなので、行こうと思ったところに容易に行けた。

地方都市と都市圏の断絶よりも地方町村(仮)と地方都市の断絶の方が深い。国道沿いでことがすんでしまう場合、地方の都市部にまで到達しないまま生活をする。ド田舎にいる場合、地方都市に行くことも大都市圏にいくことも気分、コストともにそんなに変わらない気がする。

脱オタファッションで啓蒙すべきは、ユニクロ無印でもなくマルイパルコでもなく、地方国道沿いの衣料品店ではなかろうか。

ささやかな夢

結婚し子供をもうけた友人の元へ、半年に1回くらいのペースで赴く。その家の子供にお小遣いをあげて「お金をくれるやさしいおじさん」のイメージを植えつける。その子供が大きくなって中2くらいになったとき、僕とその子の父親を比べて「おじさんのような生き方もいいかもしれない」と惑わせる。

そして高1くらいのとき、もう1度同じ問いを考えたときに「ああ、やっぱり家庭を持った方がいいかもしれない」と気付かせる。そんな存在でありたい。

恋愛と友情の違いって何なのさ!

ということをたまに考えたりする。僕は恋愛の経験がないのでどうも違いがわからない。まぁ初恋などを思い出せばわかるかもしれないが、ちゃんと思い出せないのでどうも良くわからない。

現在の自分は数は少ないけど友人たちと飲んだり話したりといったことで、それなりに満たされるものはある。友情で得られるものと恋愛で得られるものの違いが本当に気になる。

あんまり考えたくないけれど、非常に短絡的に考えるとそれは「肉体関係」があるか否かになってしまう。いやいや、しかしながら恋愛は「普遍的」に存在しているだろうにそれらが肉体関係に帰結してしまうわけがない……。

世の恋愛経験豊富な方。ぜひ教えてください。

ギャルも文化系も関係ねぇ!とにかく僕は女が苦手なわけですよ!

と、こんな立ち位置をとるのが硬派っぽい(気がする)し、実際僕は女性が苦手なので(と書くとホモっぽく思われてしまうな)、この立場であれこれ。オタクとか非モテとか童貞とか「文化系女子にはまる」と言われがち。自分を別にしてちょっと自分の周りのオタクをみると、確かにその通りかもと思う。

しかし、個人的には女性向けファッション誌のモデルのような、ちょっと華がありすぎな女性も文化系の女性も苦手だ。基本的に男性と女性は共通のプロトコルなんて持ち合わせていないんじゃないのかなぁと思っていたりもする。これは僕が恋愛的コミュニケーション不全だからかもしれないが。

別に男同士の場合、相手がオタクだろうが体育会系だろうが非モテだろうがジョックス、DQNだろうが好き嫌いは別としてなんとなく分かる部分はあったりする。分かるというか想像の余地はある。僕は本当にコミュニケーションが得意ではないから、プライベートでも何か話しをする前にアジェンダ代わりのメモ(シナリオっぽいもの?)を書くことが多い。(仕事ではあってもプライベートでする人はなかなかいないと思う)

そのメモを作るとき、相手との取っ掛かりを考えながら書く。自分と重なる部分が多ければ多いほど書きやすい。僕はDQNとかものごっつい嫌いだけど、それでも「まぁこんな話はできるかもしれない。こういうレスが返ってきそう」と想像はできる。でも、相手が女性の場合、そういう想像ができない。もし、話をする機会があってもずっと聞き役で終わる。言うことは頭の中にあるけど、自分はストライクだと思って投げたのが危険球になることもあるし、結局何も言わずに終わる。人間という名の得体の知れない何か。今、MOTHERシリーズをプレイしているけど「ギークと戦う」気分。もういのるしかない。まぁいのっても声は聞こえないんだけど。

こういう場合「場数を踏めば分かる」という話がある。でも、それはある入力に対しての出力結果が分かるだけであって、中でどういう変換がなされているかは分からないんじゃないかしらと思う。完全な解析はできないし、ある程度の傾向がつかめるまでの経験を積む気にはなれない。

ただ、女性が着飾ることも文化を享受することも凄くいいことだと思う。遠巻きに見てるだけなら「きれい」とか「かわいらしい」と感じるし、個人的な感覚だけど文化的なものも女性が支持すると長く続くイメージがある。両者に対して苦手意識以上に悪い感情は起きない。ああ、でも電車の中でユリイカ(仮)読んでる女の子とかみると「うわぁ…」と引いたりする。それはダメ人間である僕が好んで読むユリイカ(仮)を読む彼女もダメ人間かもしれないと思ってしまうからか。

基本的に理解しようという気があまりないのが大きな問題だとは思う。いや、硬派だからこれでいいのか……?