ぼ、僕の中の怪物(非モテ)が!

いまだに先週のオフの余韻が残っている…

非モテは決して一枚板ではないし、それぞれの背景が違うからすべてを包括する言説なんてどう頑張っても出ない。それぞれが「僕の中に巣食う非モテ」について想像しながら、語りを深めていくのだろう。オンライン、オフライン問わず、非モテ同士が「僕の中に巣食う非モテ観察日記」を発表しあったり、disりあったりできる場が醸成できたら、それはいいことじゃないだろうか。オフの後にそんなことを考えた。

他にもいろいろ考えることはあった。「やっぱ非モテは自意識の問題ですよねー」などと話していた。非モテのスタートは他人との承認にまつわる事象だ。しかしながら、非モテが進行してくると「他人に承認されない自分を承認できるか」「他人に承認される自分を承認できるか」という自己承認の問題になる。


「他人に承認されない自分を承認」は難しくない。これまでの経験からある程度自分を納得させることが出来る。ここで、特に異性との関係において承認されない経験が強いと、恋愛的な観点での非モテが出来上がる。同性異性問わず承認されない経験が強いと、非コミュとかコミュニケーション不全、あるいは「真の非モテ」といわれる。僕の場合、前者の恋愛的観点での非モテなので、どうしても思考のベクトルがそっちにいってしまう。

「他人に承認される自分を承認できるか」も恋愛的非モテと、真の非モテで違いが出てくる。楽かもしれないし、難しいかもしれない。これに関しては経験と想像力の欠如が問題だと思う。僕が恋愛的非モテなのでその観点から話をすると、女性から何か承認された経験はあんまりないし、どんなに知恵を絞っても承認される場面が想像できない。客観的な指標(例えばお金)があれば、想像はできるけれど……。堀江門が「女は金についてくる」といったのも、それ以外想像できなかったからだろう。

しかし、「他人に承認されない自分を承認」は難しくない。といいつつも、どこかで「他人に承認されない自分」を承認できない面もある。そこで、自分を納得させるための強固な理論武装をする。これが非モテをこじらせた状態といえる。非モテ理論武装は自分に対しての武装である。非モテではない他者に向けて、その武装を向けるのは望ましくない。使う用途が違っているからだ。また、非モテとそうでない層、男の非モテと女の非モテ、これらの間に共通する言語、間主観的なものは少ない。互いの言葉や感覚の議論について労力が割かれて実りはあまりない。(互いにもう「勝手にしてください」でいいと思う)

非モテにとっての受け入れ易さは、他者に承認されない自分>>他者に承認される自分である。だから、他人に褒められたりすると酷く居心地がわるい。本当に混乱する。それを味わうくらいならけなされている方がマシである。僕が以前、「負け戦が必要」と書いたのはそういうことからだったかもしれない。殴られている方がヒロイズムも満たせるし、楽だから。なでられる方がよほど辛い。

非モテをこじらせる前の人も、こじらせた後の人ももっと楽になれるにはどうしたらいいのだろうか。答えはそれぞれあるかもしれない。ただ、恋愛に強い価値を持つとか、オフラインでの人間関係に高い価値を置くとかではなくて、友情だったりはてぶのコメントだったりゆるいdisり合いなど、そこでの自分を承認できるものがあれば同じくらいの価値を置いてもいいと思う。