流石に殴りはしませんよ-僕という自称非モテからのお返事-

僕の何気ない一言に、かの高名なid:p_shirokuma先生からシロクマの屑籠(汎適所属) -問いかけをいただきました。

ちゃんとした答えになっているかどうかはわかりませんが、自分なりの答えを以下に並べてみたいと思います。

その前に、前回のエントリについて

「結局非モテってどうなりたいんですか?モテたいんですよね?」

これ全体を疑問文としてください。モテない人間全てが恋愛を求めているかのような思い込んでいる人が多く、憤りを感じているだけです。

非モテを自称する人達が、マジョリティの価値観に迎合しそのなかで適応を向上させようとする、いわゆる『脱オタ』を採用しないとすれば、id:yugyuさんが視た“上下関係”を直視し、上からの目線だの下からの目線だのという事に拘る事は、個人の適応を維持するうえで利口な戦略では無いと思う。むしろ、苦痛を長引かせるだけの、非生産的な選択肢ではないか?だからこそ、私はマジョリティの価値観を崇め奉るような、もっと言えば、マジョリティの価値観に上下関係を見出して歯軋りするような戦略を、勧めない。

さて、マジョリティの価値観を崇め奉るような感覚はいまだに抱いたことはありません。しかし、マジョリティの価値観に比べて、僕の依拠している価値観は力がありません。そういう意味での上下関係は常日頃から感じています。僕の価値観に力がないからといって安直に力のあるマジョリティの価値観に乗っかろうとすることはできません。

マジョリティの価値観を受け入れることは、僕の信奉する価値観への裏切りです。それと同時にマジョリティの価値観をまったく無視することはただの逃げです。そのどちらを選んだとしても、それはもう「僕」ではありません。先生が「諸々の恐怖に立ち向かう為の手札が自分には無い」ことを恐れるように僕は「自分が自分でなくなる」ことを強く恐れているのです。

よもや、 ガタガタ言わずに強くなるか「僕は全部駄目です」と諦めるかすれば?の困った相談相手さんのように、脱オタに走るわけでもなく、脱オタにリソースを投下するわけでもなく、でも女の子に自分を丸投げしたいとか言いだすわけではありますまいな。そんな無茶な要求が通らないことを理由に通りすがりのカップルをバットで殴りたいとか思っているなら、そんな正当化はあんまりだ。『喪男道』の覚悟さんとまるで変わらない。

彼らほど品のないことはできません。といいますか、おなご様やカップルなんてどうでもいいのです。以前のエントリなどでもそうですが、先生も非モテに対して「モテたいんだろ」的な思い込みをしていらっしゃるようですが、どうでしょう。性的な欲求などサンマ富士山があればどうにでもなるのです。

それよりも、モテやカップルが幅を利かせるために乗っかっているルール、もっと言ってしまえば僕という非モテを侮蔑するために使っている価値観はどうにかならんものかと夢想しています。が、先生は

「マジョリティの価値観を変えれば良い」とか「マジョリティの価値観がいけないんだから、変更すべきだ」という議論は、個人の適応を論じるうえで空想的なものとして私は退けるので、そのつもりで。

と仰いますので、個人的な適応について考えてみます。

先生が仰るような個人的な適応の手段
1.その中で這い上がる(脱オタ)
2.価値観から距離をとる(オタ道、など)
3.だめ人間コンテストに優越感を見出す(劣等感ゲーム)

僕にはこれらの手段を選ぶことはできません。僕はこれらを選んでしまったとしたら、もはや自分ではなくなってしまった自分によって潰されていくことでしょう。

僕は以前に非モテの戦は負け戦 −非モテは何を求めるのか−というエントリを書きました。

じゃあ、本当に何を求めているのか。それは一心不乱の殴り合いと相手に蹂躙されることだ。非モテがいくら殴っても効果はなく、そしてモテ・非非モテに殴られ続ける。分の悪い殴り合いの中での殺伐とした空気、悲壮感、絶望感、寂寥感。そして、そこから得られる強烈な自己愛とヒロイズム、狂気。これこそが非モテを満たすものだ。狂気のような恋愛感情など必要ない。

僕という非モテが僕のまま生きていくには、これしかありません。いみじくも先生がいう「苦痛を長引かせるだけの、非生産的な選択肢」です。しんどさがなければ、自分を満たすための「自己愛とヒロイズム、狂気」が得られないのです。本来であれば、そこにはイケメンもモテもおなご様もカップルもセックスも何もありません。しかし、非モテを名乗る以上はそれらが祀り上げる価値観に向かって勝負を挑まなければいけません。

【ちなみに、マジョリティのヒエラルキーは破壊不能です。】

知っています。夢はかなわないから夢なのです。だからってそこから逃げの手なんて打てないんですよ。負け戦だとわかっていながらもあがかないといけないのですよ。それしか自分を納得させる手段はありません。僕の適応の方法は「生きにくい娑婆社会に抗いながら、生きにくいまま生きていく」だけです。

先生の問いかけ

脱オタするか、モテだの異性だのを諦めるかすればいいじゃないの?」

に対しては、「脱オタは逃げの所業、はなからモテだの異性だのどうでもいい。けどそいつらの乗ってるビールケースの破壊には挑まなければならない」でしょうか。

合理的?生産性?そんなものが見えるならはてな非モテなんてやっていませんよ。

これで答えになっているかどうかはちょっとわかりません。しかし、自分に正直に答えてみました。
もし「これじゃ答えとして足らん」と思われるようでしたら、またお問い合わせください。(先生が面倒でなければですが)