馬鹿にされない服をもとめて

id:a666666さんので、その機能性の高い服とやらは【馬鹿にされない】服なんですか?を読んで考えてみる。

僕も服にまったく頓着しないので、とても興味がある。

機能性なら、今着てる服がすでに満たしています。オタクでも非モテでも、必要なものならちゃんとお金を出して買います。必要性がわかれば服だって。決してケチではないのは、趣味になら湯水のごとく金をつぎ込むことからもおわかりでしょう。ただ、機能面は現状で満足なんです。不満があるなら必要な服を買いに行くわけで、買いにいかないのは満足しているからです。

まったくその通り。僕の場合、「暑いので薄手のものを買おう」とか「寒いので上に羽織るアウターが欲しい」くらいだけれど「機能」を求めている。最低限の機能を考えた上で、自分の感覚に合うものを買っている。

馬鹿にされない服を求める非モテやオタクがもやもやしているのは、「自分で選んだもの」もしくは「人(例えば母親)から選んでもらって自分でも悪い気はしていないもの」に対して侮蔑の目を向けられることにあるのではないだろうか。

ファッションは差異化のゲームだと思うけれど、そのゲームに参加するにはまずマジョリティの感覚の有無によって足切りされる。また、感覚は持っているかもしれないけれどゲームのルール(服の種類や組合せなど)がよくわからないので、うまく立ち回れないこともある。それでも差違化のゲームに参加するには、既に参加している人の知恵(感覚やルール)を借りるのが効果的だ。

近くにそういう人がいない場合は、ネットで調べたり雑誌を読んだりするしかないが、説明に使われているジャーゴンがわからなかったり、例があまりにも自分とかけはなれているために自分の身に落し込めなかったりする。

僕はデブなので、雑誌に載っているようなものは参考にならないし、万人に馬鹿にされない服装マニュアルでいわれるマネキン買いも、デブの自分がマネキンの格好をしても似合わないことくらいわかる。

だから、非モテやオタクに向けてファッションを啓蒙するときには、体系別にいろんな服の組合せを羅列して、その中から本人が気に入ったものを見つけさせるのがよいのではないかと思う。

僕の場合、冬はデニム+Tシャツの上にN3Bしか着ないと決めているので楽だけど。