チラシの裏に殴り書き

 ここしばらく前のid:p_shirokuma先生の問いかけに対してまだ考えている。前回のエントリではちゃんと答えられているとはいえないし、結果的に「分かりません」というのは何かすっきりしない。結婚を控えた(おめでとうございます)もはや先生はどうでもいいと思っていらっしゃるかもしれない。ただ、個人的に引っかかるものがあるので、僕自身のためにいまの時点での自身の考え方をだらだらと垂れ流してみよう。

・僕はモテたいのだろうか
 そう思うことはない。僕は自分自身に関する恋愛についてあまり価値を見出せない。そもそも誰かを渇望するなんていう経験がない。世にいる「素晴らしい人たち」はいつも誰かを渇望しているのだろうか。これが常々気になっていて知り合いに問いを投げかけることがあるのだが、決まって「お前もそんな誰かが現れたら分かるよ」という何ともげんなりする答えが返ってくる。

 しかし、p_shirokuma先生のエントリをみると、

少なくとも僕の場合は」としながら、「婚せず家族も持たずに生きていくことは、それはそれで(おそらく五十代以降に)相応の渇望を惹起すると予測されるので、結婚という名のコストとリスクを払ってでもその渇望を回避出来やしないか、という企みが結婚には含まれています。

とある。確か酒井冬雪という人も「40代になると急に結婚をしようとする男がいる」という種の発言をいくつかのコラムでしていた。人(特に男性)は年を重ねると寂しくなるものなのか。

 僕はこれまであまり深く人間関係を構築することはほとんどなかった。コミュニケーション能力が高くないこともあるし、人に気を使うことが時折面倒になるので人を避けることが多いからだ。唯一、地元にいる高校時代の友人数人とは非常に仲がよく、いまも互いにやりとりをする。しかし、2〜3年に1回会うか会わないかだろう。そのせいか普段から1人でいることに対して抵抗はない。

 「童貞より非童貞でモテない方がつらい」という言説もある。それまでに誰かと恋愛関係を築いたことがある人間が、年を取ってから寂しさの徒然に耐えられなくなるのではないだろうかと思うこともある。いいもんだと分からなければ欲しがりようもないし。

 もし仮に何かの間違いで婚姻することがあっても離婚のリスクがある。コミュニケーション能力に劣り、女性にやさしくすることに思いが至らない人間はその発生率が高いだろう。僕にとって結婚はリスクヘッジの手段にはならない。多分。で、ここですでに恋愛をすっ飛ばして結婚の話になるくらい僕はダメなんだけれども、恋愛における費用対効果を考えたとき、身なりにつかうお金とかすこし前に話題になった「食事を奢る」というのは別に個人的にそれほど問題だとは思わない。細かいお金がないときなんかは男女関係なく「じゃあ、僕が出しますんで今度奢ってください」とかよくやっている。どちらかといえば恋愛に費やされる時間や、人に気を使うことの煩わしさの方がコスト的には高い。

 恋愛関係を構築、維持することで得られるベネフィットは何だろう。愛する人との時間。性交渉?だめだ。あまり想像ができない。愛する人といることはさぞや素晴らしいかもしれないのだけれど、多分僕にとってはコストの方が大きいと感じる。これが仕事だとベネフィット、というか職を失ったときのリスクが大きいので、コミュニケーションの煩わしさはどうでもよくなる。

 酒井冬雪の40代の話は「遺伝子を残したい」的な文脈だったのだが、生物学的な遺伝子を残したいとは思わない。逆に社会的遺伝子(なんだそれは)は残ってもいいかもしれないとは思う。

 僕という非モテの問題は自意識の問題である。自分を変えようと思えば恋愛市場に飛び込むことはできるかもしれない。ただ、自分を変えることは心底いやなので、それや普段の生活と比べると恋愛は非常に優先度が低くなる。「失うことから全ては始まる」今のところは捨てられないものばかり。

 そのため僕は恋愛ゲームに参加しないという判断を自分に下している。それとそもそも僕は(同性愛者ではないけど)おなご様が苦手だし、色恋沙汰をどこかで汚れだと思っている。

 ここまでで、僕は割と距離を置けているような気がする(と思い込んでいる)。p_shirokuma先生いう適応の「価値観から距離をとる(オタ道、など)」に近い生活を送っている。食べ物を食べて寝て漫画読めれば日々は過ぎていく。以前のエントリについたコメントにあらためて答えれば、普段の生活で楽しいなんて考えたこともねぇけどあとから考えれば楽しいのかもしれない。くらいの感じだろうか。

 では僕は非モテを取り巻く環境の何を問題としているのだろうか。となると以前の愚痴みたいなところに戻るな。男女の非対称性というものや、ヤンキーが得しているかもしれないこと、フェミニズムやら。それらのことはそれほど気にしていない。

 「自分たちは上にいる」と思い込んでいる人たち。「不快」とひと言ここの中でつぶやいてスルーできればいいかもしれない。反応すること自体がその価値観を再生産しているという議論もあるだろう。そこは僕のスルー力(ちから)の足りないところ。