非モテの戦は負け戦 −非モテは何を求めるのか−

と書いてみたが、ここでの非モテは喪と過激派の方々のこととする。あと、一部非モテ哲学を論じようとする方々。

非モテに係わる論争を見てきて思った。喪・非モテ側はモテ側、非・非モテ側にいかなる手段をもってしても勝つことは難しい。と。

いくら、喪や非モテの方々が一騎当千(いや百くらいかしら)だったとして、普遍的な共感とやらによって生み出されるモテ、非・非モテ側の尖兵は、わらわら生み出されてくる。そして、非モテとモテ、非・非モテどちらも相手のことが理解できないし、理解しようともしない。

その中で、いくら非モテが自分達の正当性や異性の醜さを啓蒙したとして、相手が受け入れるわけがない。たとえ、受け入れたとしても非モテが満足するとは限らない。ひたすらにたたき続けるだろう。

とここまで考えて、非モテの最終目的が気になった。非モテの論争のときに「非モテの目的は何か」と問われるケースがある。そこで浅はかなモテの方々は、「どうせお前ら、もてたいんだろ」という短絡的な発想をすることが多い。

それは大きな間違いで、たとえ非モテはモテたところで、異性に対する猜疑心は消えない。むしろ自分が相手に対して迷惑をかけるんじゃないかという気持ち(どうせ俺といても詰まんないだろうな。とかこんなキモイ人間が近くにいたら、相手の評価まで落としちゃうなーとか)を常に抱き続ける。

非モテはモテたいなんて思ってはいない。良く理由にされる「同調圧力」なんてのも嘘。それ程度のものを無視できるくらいのコミュニケーション能力(のようなもの)は持ち合わせているはず。実際、「はぁ」「まぁ」「そうっすね」とでも言っておけば、相手も満足する。

じゃあ、本当に何を求めているのか。それは一心不乱の殴り合いと相手に蹂躙されることだ。非モテがいくら殴っても効果はなく、そしてモテ・非非モテに殴られ続ける。分の悪い殴り合いの中での殺伐とした空気、悲壮感、絶望感、寂寥感。そして、そこから得られる強烈な自己愛とヒロイズム、狂気。これこそが非モテを満たすものだ。狂気のような恋愛感情など必要ない。

自分が辛くないと、非モテは笑うことができないのだ。つまり勝ち戦の中では、永遠に非モテは充足できない。ヘルシングの少佐のように、終わらない戦争で終わらない蹂躙をされたいだけ。

なので、非モテに絡まれて困っている方は、完全に無視を決め込む。もしくは、非モテを叩く存在を自分の周りに置かないことを心がけると良いでしょう。

クリルタイの方々は、昔ながらの非モテ自虐芸、もしくはメタ世界の中で生きていらっしゃるように思われるのでまた別。

と妄想してみる(という逃げ道)。

自分の立ち位置がわからんなぁ。